<ロシア・ウクライナガス紛争の知識>
2007/10/12 日記<ロシア・ウクライナガス紛争>
ロシア・ウクライナガス紛争
ロシア・ウクライナガス紛争(ろしあうくらいながすふんそう)とは、ソ連崩壊後、両国間で継続して生じた一連の天然ガスの供給・料金設定をめぐる争いのことである。特に2005年から2006年にかけてロシアとウクライナ間で発生した紛争をここでは記す。ソースによって、紛争、戦争、対立、係争と様々な表記がされる。両国とも当事者は政府ではなく、ガス供給事業者であるガスプロム社とナフトハス・ウクライナ社であるが、両社とも国営企業であり、二国間での争いと見ることもできる。
紛争の背景
2004年にウクライナで、オレンジ革命が発生。新政権が、親アメリカ合衆国|アメリカ、親欧州連合の立場を鮮明にした。ロシアはウクライナの野党勢力(与党と拮抗状態)を後押ししていることもあり、影響力の低下を危惧したロシア側がウクライナ現政権に対する経済制裁|制裁として行った措置である、との見解が当初報道された。しかし、ロシア側は市場原理に基づく経済的行動であるとして政治的意味合いを否定している。実際に、今回の改訂ではウクライナの他に、ロシアと良好な関係を維持し続けるアルメニア等に対しても同様にガス料金改定を行っている。また、ガス料金自体は低価格のまま据え置かれているベラルーシに対しても、ガス料金を低価格のまま据え置く代償として保有するパイプラインの権益の一部をロシアに譲渡することが決められている。
ロシアのガス輸出
ロシアは、ソ連時代に東ヨーロッパ|東欧から西ヨーロッパ|西欧にかけて一大パイプライン輸送網を構築、大量に産出される天然ガスを各国に輸出している。特に、ウクライナを含む独立国家共同体諸国に対しては、歴史的な経緯から欧州諸国に比して割安な価格で供給していた。ただし、ウクライナ向けガス価格は、パイプライン輸送料との物々交換|バーター決済の価格指標として機能していたに過ぎず、この価格で販売されていたわけではない点に留意が必要である。
この紛争に関しては被害者と見られることが多いウクライナだが、そもそもウクライナ側はソ連時代から再三ロシアに無断でのガスの抜き取りを行っていた。特に、ソ連崩壊後の1990年代初頭は債務不履行|料金不払い・無断抜き取りが多発していたため、幾度にもわたるガス供給停止が発生しており、今回の紛争においても、ロシア側はそれまでの供給停止と同じ感覚で事に臨んでいたと考えられる。しかし、今年はウクライナ側が記録的な大寒波のため、大々的にガスの抜き取りを行った。そのため、パイプラインの下流に位置する欧州の混乱を招く結果となった。
今回の紛争には直接関係ないものの、ソ連崩壊後の混乱期に、ロシア側がウクライナとの貿易において代金の不払いを行った過去がある。そのため、ロシア側が天然ガスの供給を実際にストップさせた事に対する不満が溜まる余地は、ウクライナ側に十分にあったことも推測できる。経緯
2005年3月:ガスプロム社とベラルーシ政府が、ガス供給に関する契約更改を実施。料金は1,000立方メートルあたり46.5ドルの格安な価格が設定された(ただし、価格を低価格のまま据え置く代償として、ロシア側はベラルーシ南部を通るパイプラインの権益を要求し、ベラルーシはこの要求を受け入れた)。
2005年4月:ガスプロム社とウクライナ政府が、ガス供給に関する契約更改交渉を実施。1,000立方メートルあたり現行50.0ドルから改訂後160.0ドル(後に交渉過程で230.0ドルに上昇)へ大幅な上昇を伴う料金改定が提示されたことから、交渉は紛糾状態となる。
2005年12月:ガスプロム社がウクライナ政府に対して、契約がまとまらなかった場合には2006年1月1日からガス供給を停止すると改めて表明(供給停止の可能性については4月の段階で触れられていた)。ウクライナ政府は、1994年にロシア、アメリカ合衆国、イギリスが経済的圧力に対する安全保障を約束したブダペスト覚書に反するとし、ロシア政府に抗議するとともに、アメリカ合衆国、イギリス政府に対して介入を求めた。
2006年:ガスプロム社がウクライナ向けのガス供給を停止。ただし、ウクライナ向けのガス供給は、対欧州連合諸国向けと同じパイプラインで行われていたため、EU諸国向けの供給量からウクライナ向けの供給量の30%を削減する形で行われた。ウクライナ側は、これを無視する形でガスの取得を続行。たちまちパイプライン末端にある欧州連合諸国へ提供されるガス圧は低下し、各国は大混乱となった。もはや二国間の問題ではおさまらず、国際問題となったことから、両者は急速に歩み寄りを見せ、1月4日に95ドルの価格設定で供給を再開する妥協をみた。紛争の余波
2006年2月、ウクライナ最高会議(議会)は、一連のガス紛争で政府の対応に問題があったとして、内閣不信任案を賛成多数で採択。オレンジ革命で誕生したヴィクトル・ユシチェンコ|ユシチェンコ政権は、危機を迎えている。(ちなみに、この際ユシチェンコ大統領はモスクワを訪問し、ロシアとの「新たなパートナーシップを結ぶ」事を確認している。)
2006年3月、ウクライナでは総選挙が実施され、ロシアとの関係強化を主張する野党が大幅に議席を伸ばした。また、ユリア・ティモシェンコ|ティモシェンコもユシチェンコ政権のロシアに対する弱腰姿勢を批判し、第二党に付けた。ユシチェンコ大統領の与党は第三位党に転落し議会内の多数派工作にも失敗し、8月にヴィクトル・ヤヌコーヴィチ|ヤヌコヴィッチを首班とする内閣が成立した。連合協定の中でヤヌコヴィッチ首相は「NATO加盟は国民投票で決定する」として、ロシアに配慮する姿勢を見せている。
天然ガスの供給不安に直面した欧州連合諸国は、ガスの調達先や輸入ルートの変更、原子力発電所|原子力発電の見直しなども視野に入れた、エネルギー政策の転換が模索され始めた。
サハリンプロジェクト|サハリンにてロシアと天然ガス開発を進めている日本も、政治的な圧力が掛かる余地のある計画に対して、リスクの検討を余儀なくされている。
ウクライナ経由でガス供給を受けている中央ヨーロッパ|中欧や西ヨーロッパ|西欧諸国は影響を被ったが、当のウクライナの市民生活には大きな影響は出なかった。これは、公式にはウクライナが天然ガス地下貯蔵庫から天然ガスを汲み出したこと、産業に利用制限を課して市民向けに優先的に廻したためと説明されているが、欧州諸国向けのガスも抜き取ったためと言われている。2006年は比較的温暖なキエフですらマイナス30℃近いという異常な寒さであったこともあり各地で暖房設備が故障したが、これとガス供給の問題とに関連はない。なお、ドニプロペトロウシク、ルハンシク、ヴィーンヌィツャ、ザポリージュジャなど多くの都市で暖房が停止するという事態が発生した。
ウクライナへのガス供給が停止すると真っ先に深刻な影響を被るのはEU諸国であるということが判明したため、今後の各国は対応に迫られている。
ウクライナを迂回してヨーロッパに天然ガスを供給する「北ヨーロッパ天然ガスパイプライン」建設にも拍車がかかるものと見られる。
2006年1月〜2月にかけて、ロシア西部の市場で塩が不足気味となり価格が高騰した。これは岩塩の輸出元であるウクライナが、天然ガス値上げの報復措置として価格をつり上げるというデマが流れたためである。関連項目
ロシア・ベラルーシエネルギー紛争
ボリビアガス紛争
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◆ロシア・ウクライナガス紛争についてピックアップ
この紛争に関しては被害者と見られることが多いウクライナだが、そもそもウクライナ側はソ連時代から再三ロシアに無断でのガスの抜き取りを行っていた。特に、ソ連崩壊後の1990年代初頭は料金不払い・無断抜き取りが多発していたため、幾度にもわたるガス供給停止が発生しており、今回の紛争においても、ロシア側はそれまでの供給停止と同じ感覚で事に臨んでいたと考えられる。しかし...
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